お兄系道を見つけたり

お兄系

個人主義は何故お兄系を引き起こすか

はじめまして。
どうも、クルスと申します。
HNの由来は、某マンガの登場人物から拝借しています。
Twitterではキャラの画像なんて載せてしまっているので
マンガ好きの人にはすぐに分かってしまいますね。
このマンガがすごく好きで、意味もなくこのキャラにしたわけではないのですが
この作品全体を通して、人間の闇を描いている描写が多く
一気に引き込まれてしまいました。
この作品でも、失う時に初めてその大事さを知ったり
自分のやってきたことが結果的に身を滅ぼすことになる
そんな感じの内容であります。

そんな何とも言えないようなもどかしさを胸に抱きました。
「今の現代人、本当に生きてるのかな?」と。
いや、そりゃ生きてるじゃんw

て話なのですが
何の欲もなく、生きていけるのであれば悲しみも大きな喜びも感じず生きていけるでしょうし
それでもいいのなら何とも思わないのですが
中には、自分のやりたいことを「やりたいのにできない」と言う人もいたりして。

でもよくよく考えてみたら、自分も昔はそうだったんです。
あの時の自分を思い返すと
「生きてなかった」
そんな感じがします。

やっぱり人間に生まれたからには、もっとときめいて生きていきたいし
それがないで、毎日を惰性で繰り返すだけなんて本当に「生きてる」と言えるのだろうか。
「自分なんてどうせ」
そんな言葉ばかりが先行して、やりたいこともできない。
そしてできないことの大半の理由は、言い訳でしかない。

もう言い訳を捨てて、生きていこう、
ちゃんと「生きていこう」。

形や状況は違えど、クルスというキャラの台詞に
「生きたきゃ、俺と来い。」
というのがあるのですが、こんなことが言える人間になりたくて。
そんなテーマの上にストリートナンパに復帰しました。
今では平然と女の子に声をかけれますが、昔は違いました。
長くはなりますが、自分としても路線を明確にしたいので
テーマの再確認というのも含めまして
自己紹介と言う名の独り言、スタートです。
保育園の頃から外で遊びまわる絵に描いたような元気っ子だった俺は
物心つく頃から、自分に都合のいいように物事を進めたがる人間だった。
記憶にある中でも恥ずかしいのは、地域のお泊まり会の時に
その日の食事の帰り道にいたヤ○ザさんとの絡みである。
軽く同い年の男子が声をかけられていたのを、正義感からか守ろうとした。
何を話かけられていたのかは知らないが頭の中には
「助けなきゃ」というのでいっぱいだった。
普通に拳でぶつかっていった。
必殺技を放った気分でいた。
背も小さかった俺は容易く持ち上げられた。
子供ながらに、危険を感じたのか
とにもかくにも泣いた。
俺の泣き声を聞いた親父グループが集まってきて、ことなきを得た。

なんとなく思う。
この頃から俺は「自分に甘い」のだった。

小学生の時は、お調子者のキャラだった。
そして趣味は読書。
謎の方向性がこの時出来上がった。
クラスでは目立とうとするものの、外では遊ばない。
小学生の時にモテるやつはだいたいスポーツができるやつで
この時のスポーツなんてだいたいサッカーか野球だった。
どうしてもチームプレイができなかった。
常に他人の顔色を気にしていた。
だから、そういうのは嫌で昼休みや放課後は読書をすることにしていた。
家に帰ってからはゲーム。
親父が買い与えてくれたスーパーファミコン。
ちなみに、なぜ他人の顔色を気にするようになったのかというと
その当時はヤンチャだった俺が何かする度に神経質な母親にヒステリックに怒られていたことが起因していると思われる。
今でもたまにヒステリックに怒られるときがあるが慣れないものである。

小学生高学年に差し掛かる頃、母親に悪魔の言葉を告げられる。
「部活をしないとゲームは没収」
そんなことを言うのだ。
しかも田舎の学校には、時代もあるが文科系の部活なんてない。
男子が選べるのは、サッカーか、野球か、剣道だけなのだ。
この時もなんとなく、サッカーを選んだが
そもそも球技が好きではない俺には熱が入るわけもなく
万年補欠だった。
試合なんて出たくなかったし。

そして、時を同じくして柔道をやっていた父に無理やり柔道にも参加させられることになる。

サッカーもしながら柔道もやって、でもゲームだけは没収されたくなかったので従った。

ちょうどこの時らへんの話だが、初恋があった。
小学6年生の時の修学旅行での話。
夜に起きてる悪ぶりたい男子たちがいた。
そいつらに起こされたのだ。
「好きな人言えよ、皆言ってるんだぞ」
知るか。お前らの好きなやつに興味なんてない。
と言えない俺は、悩みに悩んだ。
それをもったいぶってるかのように見えたのだろう。
ボス格のやつがイライラしている。
なぜなら、その時、女子を好きとかそんな目で見たことがなかったからだ。
焦りながら、適当に「Sちゃん」と告げた。
周りは驚いていた。
そんな風に見えないけど意外だなw
なんて口々に言う。
当たり前だ。
今作ったんだもん。

次の日から、Sちゃんを意識しまくってしまい
好きになった。
しかも、その時ダントツでいじられるグループにいたので噂は一気に広まった。
最悪だ。
告白なんてものもなく、中学校に上がった。
となりの小学校と合同になって、人数が1.5倍になっただけの小さな中学校だった。

ちなみに帰宅部だったが、柔道はきっちりとやらされていた。
地獄だった。

この時も変わらずにSちゃんが好きで、
告白する勇気もない自分の思いの爆発のさせ方に周りは引いていた。
今思えば自分でも引くくらいだ。
でもそれほど好きだったし、この人と結婚するなんて青い感情を抱いていた。
そして、周りの後押しもあり告白する。
自信はあった。
なぜなら2人きりではないものの、一緒によく下校していたからだ。
仲もよかった。
強制で勝てるイベントだと思っていた。
まあこんな書き方をしたらわかるが、普通にフラれた。
理由は「好きな人がいるから」だった。
目の前がクラクラした。
誰なのか知りたくもなかった。

しかし、その気持ちは増すばかりで
完全にキモい話だが、中学の3年間で50回は告白している。
その当時のホットドッグエクスプレス?って雑誌にも押しが肝心と書いてあった。
卒業式にも告った。
完全に敗退した。

全然押しても何にもならなかった。

ちなみに中学の時には、結構いじめられるようなくらいグループに属していたし恋愛以外でもあまりいい思い出はない。

ちなみに中学2年から、顧問が柔道をやっていたからと言うわけのわからない理由で陸上部をやらされていた。

もうお分りいただけたことと思う。
親の操り人形だった。
何をするにも親の顔色を窺う、
怒られるのが怖かった。
閉塞的な人間に育っていった。
高校生になった俺は柔道も辞め、音楽とバイトに没頭していた。
ちなみにバイトがない日の門限は17時。
男子高校生にしては驚きでしかない。

この頃、音楽で地元のモールなんかでライブをやったりしてて
となりのクラスの気になる女の子に「ライブ見に来て」と伝えた。
メガネの似合うTちゃん。
女子に好意を持って声をかけたのは、あのSちゃんへの告白以外では初めてである。
今思えば、地味な女の子が好きなのはこのTちゃんからかもしれない。

Tちゃんといえば、勉強しかしてこなかったであろう出で立ちで
高校デビューにも成功して少し目立ってた俺が声をかけたもんだから、仲間内も
そしてクラスも驚きを隠せなかった。

Tちゃんはライブがある時はいつも来てくれた。
2人で一緒にマックも食べた。
Tちゃんは元がよかったのだろう、
おそらく俺のために綺麗になろうとしてくれて
メガネからコンタクトにして
髪もボサボサだったのにアイロンをかけて綺麗にしていた。
周りもあんなにTちゃんが可愛くなるとは思わなかったし、俺ですら予想外だった。
「クルスくんがTちゃんを綺麗にしたんだよ」
そう周りの女子にいわれるのが嬉しかった。
しかし、そんな日々も長くは続かなかった。
クルス裏切り事件である。
プチモテ期がきていて、数人に告白された。
しかもそのうち1人に同じクラスでめちゃくちゃ可愛い女の子がいて
その子だったからOKした。

すぐに学校内にその話は広まった。

白い目で見られる。。。
しかし、よかった。
そのことを気にしない彼女がいてくれるのだから。
ちなみにその彼女は、自分の非モテ行為のせいで2週間くらいでフラれた。

ますます、女性不信になりながら
「音楽でメシ食ってく!」という夢を叶えるため上京。
ちなみに30万もあればしばらく暮らせると思っていたが最初にいろんな出費があるもので
一気にお金は底を尽き、今も笑い話として語られる
「鳥のササミ肉事件」「もやし事件」
を生み出すことになる。

この東京でも彼女ができた。
Cちゃん。
歳は一個上だったが、完全に冷めきっている人で。
この人は好きすぎてデートとか誘いまくって、何とか付き合えた。
自分の力で精一杯頑張って成功したのは初めてで、
この歳になっても思い出が深い女性である。

俺は肥後出身なので、数年住んだ東京にオサラバして
一緒に熊本来てくれ、と言ったがなあなあになるのは嫌だから、
という理由でフラれた。

半年は引きずった。

その後、人生の転機となる大きな出来事がある。

「男性がメイクするなんて」
と思っていた概念を壊す。
メイクに目覚めたのだ。
この時はメンズナックルや、メンズユカイ、メンズエッグが流行っていた全盛期だった。

たまたま「全力で無駄遣いがしたい」と思って勢いでカラコンを買ったことが
こんなに自分を変えるとは思わなかった。

この時から、服装の系統がホスト系、お兄系になる。
ちなみに東京のときはまさかの、B系。
わらけてくる。

この時にたまたまナンパと呼ぶしかない出来事が不可抗力に起きて
「ナンパ」の可能性を感じた俺は
ネットでググりまくり、ナンパの師匠である方と出会う。
ちなみにこの時らへんに師匠つながりで合流させてもらった人に、福岡のM太郎さんがいて驚いた。
あと今思えばとんでもなく恐ろしいことだが、サクさんから自分のブログ宛に連絡がきて、合流させていただいた。
ちなみに当時からサクさんはとんでもなく凄かったのだが、
ブログのコメント欄を確認してなかったおかげで周りからは「塩対応」に見えたらしく、ヒヤヒヤさせてしまった。
この時ヒヤヒヤしてたやつは今結構な凄腕だが、Twitterもブログもやっていないので野良と呼ばれる部類だ。

そして、ここで自分はとんでもないツールでネトナンに目覚めてしまう。
この美味しさを知ってから、ストリートがだるくなりストナンを辞めてしまう。

その後、単身福岡に渡る。
この時にはネトナンも多少落ち着いていてどちらかというと、生きることに必死な時期だった。
時を同じくして、14年来の相方と呼べる人間に数十万持ち逃げされ、借金を抱える。
この時働いていたのが、メンズバーで
まじめに働いていたところを評価され、代表取締役にまで上げていただいた。
たしかに売り上げもとれてたし。
そして、そのブランド力もあって、女性関係に全く困らない数年間だった。
「可愛い」と思ったお客さんはだいたい落とせたし、正直自分がかっこよかった。
自信がることは、相乗効果を生み、
モテてはまたモテる、を繰り返した。

それもこれもメイクのおかげだと思っている。
あの時、「男がメイクするなんて恥ずかしい」と切り捨てていたらこれは生まれなかった。

そして、夜の仕事を辞め、真っ当な昼の仕事へ。
こうした生活をしていると女性に触れ合う機会が減った。
そこで、思った。

スト師に戻ろう、と。
そんなこんなで、ストリート第2章です。
ちなみにここでもTwitterでも、ナンパについてばっかり書いてますが
本質は、人と人の輪が繋がることが幸せなのです。
それがナンパなら手っ取り早い、というだけ。
根本的に人たらしなんです。
縁を広めたい。
生きてる間にたくさんの人に会いたい。
老若男女、自分を高めてくれるのだから。
あ、好きなのはもちろん女性ですよ?笑

でもいろんな人と交流ができたら嬉しいです。
誰より人見知りします。
でも、それは誰かと仲良くならない言い訳にはなりません。
ナンパには感謝してるんです。

だって、最高の自己啓発だから。
ネガティブでどうしようもなかった俺を変えてくれたのだから。
最後に質問です。
生きてますか?
生きてるようで、死んでないですか?
人生は自分次第でもっと輝かせることができます。
生きたきゃ、俺と来い。

俺たちのお兄系はこれからだ!

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